中島 翔(なかじま しょう)
- 柔道整復師・鍼灸師
- 柔道二段
業界歴:11年
臨床数2万名以上
経歴:
- 國學院大學久我山高等学校卒業
- 帝京平成大学はりきゅう学科卒業
- 帝京短期大学柔道整復コース卒業
- 東京都中央区・港区・世田谷区にて10年修行
こんにちは。とむろ接骨院の中島翔です。
私は厚木市妻田で生まれ育ちました。
子供のころは野山を自転車で走り回り、あっちこっちに傷を作っていたのを
覚えています。あまり運動神経がよいタイプではなくどちらかというと
勉強の方が得意でした。
柔道との出会い
しかし私は中学校に入り柔道部に入りました。
なぜ柔道部を選んだかというと、仲が良かった友達が柔道をやると言ったからです。
両親に体格が小さい私が柔道部に入ると言った時は結構心配されました。練習もそうですが、上下関係もきつかったので中学校で辞めようと思ったのですが、他にやりたいこともなかったので高校生まで計6年間続けました。6年間続けられたことは私の誇りでもあり、今の性格の我慢強さはここからきているのかなぁと思います。
柔道は格闘技に近い部分があるので、怪我は日常茶飯事です。
目の前で脱臼や骨折をする現場も見たこともありますし、自分自身も靱帯を痛めたりしました。
脱臼や骨折をしたときに監督やコーチが一目散に走って行って応急処置をするのをみてかっこいいと思い、柔道整復師という資格があることを知りました。そしてその道に進むことを決めました。
また、鍼灸の資格も持っていた方が可能性の幅が広がると思い、まず鍼灸の学校に進みました。
ケガによる苦しみ
そんな充実した生活を送っていましたが、大学2年生の時に腰椎椎間板ヘルニアを発症し手術をしました。中学高校6年間自分の体格に合わない柔道を続けてきたツケが回ってきたのだと思います。
残念なことに術後の経過が悪くシビレもとれないし上手く歩けず自分の足でない感じがするなど通学にも苦労し、2年くらい接骨院に通いました。
今まで大きなケガもなく風邪も引かない人間でしたが、体を壊すことはこんなにも辛くて苦しいことなんだと学びました。
修業時代
ヘルニアの症状も治り、国家資格も無事所得し都内の治療院で働き始めました。
右も左もわからなかった私は少しでも粗相があるとバックヤードに連れていかれ怒られてばっかりでした。
帰宅するのも遅く毎日日付を超えていました。そんな時期が1年くらい続きあまりにも辛くこの仕事向いていないのかなぁと考えたこともありました。
その中でもこの仕事が楽しくて続けていけたのは、患者様から「ありがとう」と直接言われる仕事だからでした。
あなたの心のよりどころになりたい
あなたが思う健康とは何ですか?
私は心も体も優れた状態だと考えています。むしろ心が安定していることの方が重要だと考えています。
心が疲れてしまっていると何にもする気力が起きませんよね?
私が治療家として最も大事にしているのは、一人一人の患者様に向き合い、寄り添うことです。
少しでも患者様が抱えている不安や悩みを取り除くために常に患者様の事を考えながら治療していきます。
藤井 顕弘(ふじい あきひろ)
- 柔道整復師
- 産業カウンセラー取得
- 簿記検定3級
経歴:
- 大阪桐蔭高校卒業
- 龍谷大学卒業
- 関西外国語大学大学院卒業
- 横浜医療専門学校卒業
こんにちは、とむろ接骨院の藤井顕弘です。
私は京都府京都市に生まれ大阪府交野市で育ちました。
子供のころは特に運動神経が良いわけではなかったのですが、
体を動かすことが好きでした。
小学校では水泳・サッカーを習い中学校ではバトミントン部に所属していました。
中学校までは勉強も好きで、それなりに頑張っていましたが、
高校生になると勉強についていけず成績が落ちはじめ、家に帰ると漫画を読んだり、ゲームばかりをしていたインドアな青春時代を送っていました。
しかし一方では、何だかいつもくすぶっている毎日の中で、何かにのめり込んで
充実した日々を送りたい…という願望も持っていました。
自分はいったい何がしたいのだろう・・・
そんな時、読んでいた漫画の影響で外国の歴史や文化、そして格闘技にも興味を持
つようになりました。
大学では興味を持ったフィンランドという国の歴史をテーマに勉強し、通学途中にあった格闘技道場にも通い、文武を両立させ充実した生活を送れていると実感できるようにもなりました。
自分の研究テーマにのめり込み、大学を卒業すると就職もせず大学院に進みました。
その頃は研究職に就きたいと考えていましたが、凡人以下の頭脳しか持たない私で
は上手くいくはずもなく就職に失敗します。そこから長い人生の暗黒時代が到来
しました。20代から30代にかけて何をやっていいかわからず、職を転々としました。そんな日々の中、現在の妻に出会う幸運があり、私生活での日々は充実していました。このままこの生活が続いていく事が幸せなんだろうな…と思いつつも、
なにをやっても身に付かず自分の存在意義を見つけられない、苦しい時期も同時に続きました。
柔道整復師との出会いと道のり
日常生活は満足していましたが、自分の人生に手詰まり感しか感じられなくなったころ、妻から医療系の資格を取ってみたら?
と勧められ、40歳を目前に柔道整復師の資格取得を決意しました。
日中は接骨院でアルバイトしながら柔道整復師の専門学校の夜間部で勉強しました。
とてもハードな毎日でしたが、無事資格を取得し専門学校卒業後は整形外科のリハ
ビリ室で修行をさせて頂き、貴重な体験を積むこともできました。
柔道整復師のお仕事をするようになってからは、今までやってきたスポーツの経験も生き、また今までの転々とした職業の中でも、身に付けた浅く広い知識を患者さんとの会話の中で生かす事もでき、これまでの人生で無駄になったと思ってきたことが無駄ではなかったんだと、
やっと今になってつながってきたように感じています。
自分はこれまで、上手くできなかった経験が多い人間なので、そのぶん人にも寛容になれる気がしています。
患者さんから何でも気兼ねなく話をして頂けるような治療家になりたいと思っています。
柳樂 香里(なぎら かおり)
経歴:長万部高校卒業・小児科7年、脳外科10年
こんにちは。とむろ接骨院の柳樂香里(なぎらかおり)です。
私は北海道に生まれ、23歳で結婚するまでは長万部町(おしゃまんべ町)という小さな町に住んでいました。
小学生の頃は暖かい時期には海で泳いだり、野球やソフトボールにのめり込み、毎日暗くなるまで父と練習をしていました。
冬には、あまり上手ではなかったですが、スキーや雪の校庭でドッチボールなどを友達として、とにかく体を動かすことが大好きな健康優良児でワンパクに遊んでいました。
ケガが絶えなかった学生時代
中学校・高校時代では、体が大きかったこともありバスケットボール部に所属し、
今では禁止されている「うさぎ跳び」や、激しいサーキットトレーニング、走り込みで腰や膝がいつも痛く毎日のように整骨院へ通い、電気治療とテーピングをしながら練習していた記憶があります。
その当時は、運動嫌いだった母からは「何でそこまでしてやるの?」とよく聞かれていました。
理由は、辛い中でも仲間と一緒にスポーツをすることは私にとって大きな意味がある事だったと、今の私なら思います。
でもその時の私は、ただ夢中でスポーツをする事しか出来なかった「脳筋人間」でした。
社会人になるとバレーボールを始めました。そして、結婚してからもママさんバレーに入り又
スポーツをする生活が続いていました。
整体との出会い、そして…
ある時全く体が自由に動かなくなってしまい、手足の先がこわばり、足もむくみが酷くパンパン
になってしまいました。
辛い症状で、体が自由に動かなくなると同時に動く気力もなくなり・・・
まだ子供に手のかかる子育ての真っただ中で、どうして良いか分からなくなりました。
そんな私を見かねた友達が「いい整体の先生がいるよ」と教えてくれたのが『整体』との出会い
でした。
整体の先生に、毎週自宅に来てもらい施術を受けているうちに段々と体が変わっていくのが
目に見えるように分かったのには感動すら覚えました。
その後、子供たちが部活で疲れて帰ってくるのを見ているうちに「子供たちを何とかしたい、私
も整体の仕事がしたい」と思うようになりました。
そして、子育てしながらでも通える学校を探し一生懸命に整体を学びました。何事も集中できる
事が私の良い点なのかもしれません。
お役に立てる喜び
自宅で子ども達や主人のケアをしているうちに、バレーの仲間やそのご家族、その友達・・・と
輪が広がっていきました。
自分の手で周りの方々をケア出来る喜びを、周りの方々に教えていただけました。
とても充実した時を過ごせていたのですが、後に引っ越しをしたタイミングで、整体ではなく他
の仕事に就き、やりがいは感じるものの、その10年の間、整体のことが頭から離れずにいました。
悩んでいる時に娘の「挑戦してみたら」との後押しもあり、このとむろ接骨院の門を思い切って
たたきました。
諸杉院長をはじめスタッフの皆様に助けられながら、今の私がいると言っても過言ではありません。
私が最も大切にしたいのは、一人一人の患者様に寄り添いながらこの整体という仕事に向き合っ
ていきたい、その為には日々精進を重ねて行こうという思いです。
あなたの健康とは、なんですか?
皆さんにとっての健康とは何ですか?
私は心と身体のバランスがよい状態だと考えています。
どちらかが良ければ良いと言うものではないと自分の経験も踏まえてなんですが・・・
【自由に楽しく軽やかに】を人生のモットーにがんばります!
塩塚 哲平(しおづか てっぺい)
整体師
経歴:
- 福岡私立舞鶴高校卒業
- 熊本大学工学部卒業
こんにちは。とむろ接骨院の塩塚哲平です。
私は福岡県福岡市で生まれ育ちました。
子供のころはとにかく活発で、親から「目を離すとすぐいなくなるし、ケガするから本当に大変だった」といまだに言われるほど、始終動き回る子供だったそうです(笑)
そんな子供でしたので、体を動かすことが大好きで、小学校一年生からソフトボールやサッカー、空手や野球などたくさんのスポーツを経験してきま
した。
ボクシングとの出会い
中でもとくに夢中になって取り組んだのが、格闘技好きが高じて大学から始めたボクシングです。
ボクシングは相手に勝つ前に、減量など自分との戦いに勝たなければいけない、厳しいスポーツでした。
最初の二年間は自己管理の甘さや精神的な弱さもあり、なかなか結果を出すことができず、自分への不甲斐なさや無力さを痛感しました。
しかし、普段の生活から自分を厳しくコントロールして追い込み、不安に打ち勝って、無事に最後の大会では優勝することができました。そこでの経験は、いまでも私の誇りであり、大きな財産です。
治療院との関わり
治療院と初めて関わったのも、ボクシングに夢中になっていたその頃です。指のケガで整骨院へ通っていたのですが、治療内容よりも、院長先生の温かい人柄をよく覚えています。大きな大会の前には「これでパワーをつけなさい」と、熊本ということもあり大量の馬刺しを頂いたこともありました。私にとって整骨院は、とても居心地のいい空間だというイメージが残りました。
治療業界への転職
大学を出てからは会社員として働き始めましたが、色々と悩んだ末、まったく異なる治療業界への転職を決めたのは、その頃の経験があったからだと思います。
私もその院長先生のように思いやりを持って、いつか患者さんが居心地よく過ごせるような自分の治療院を作る、という夢を持ちました。
しかし、何も知らない人間が通用するほど簡単な世界ではありませんでした。最初に働いた整体院では、知識の無さや覚えの悪さからヘマをしては毎日のように怒られ、反省し、勉強や練習を重ね実践してはまた怒られる、という日々を繰り返していました。
指の痛みや怒られる辛さもあり、何度も、もう続けられないんじゃないかと思いましたが、それでもやめなかったのは、この仕事にやりがいを感じ、この仕事が好きになったからです。患者さんの悩みを取り除いた後に直接いただける感謝のお気持ちは、私にとって何にも代えがたい喜びです。
あなたがおもう健康とは何ですか?
好きなことがいつでも好きなだけできる状態でい続けることです。健康はすべての日常生活における礎だと思います。健康なくして他のものは成り立ちません。当院で好きなことをいくつになっても続けられるよう、一緒に健康寿命を延ばしていきましょう。
吉山 勝巳(よしやま かつみ)
認定・習得:
- 整体師
- 薬学検定3級
- 登録販売者(学科試験合格)
- 調剤事務管理士
- ケアストレスカウンセラー
- ドクターズオフィスアシスタント
- 生活リズムアドバイザー
経歴:
- 私立立花学園高校卒業
- 航空自衛隊 定年退職
- 神奈川中央病院 勤務(6カ月)
こんにちは、とむろ整骨院の吉山勝巳です。
私は、神奈川県座間市で生まれ育ちました。
子供の頃は、小学校で、野球、ドッチボール
缶けり、ケイドロ等で暗くなるまでよく遊んでいました。
運動神経はあまりよくないので、中学では帰宅部だったのですが、高校ではテニス部入部。テニス部は軟式テニス部でした。肘とか右腕のしびれ等ありましたが、なんとか3年間続けることができました。
高校時代読んでいた漫画「ファントム無頼」に影響を受けて航空自衛隊に入隊。
3年間軟式テニスをやってきたこともあり、キツかった3ヶ月の教育期間を過ぎ、37年間勤め
令和4年2月に定年退職しました。
整体師への再挑戦
整体師になろうとしたきっかけは、40代で始めたマラソンやトレイルランニングを趣味でやっていたということで、航空自衛隊の駅伝大会の予選に参加するため強化要員に選ばれました。訓練期間は半年間。選手ではなくコーチとして選ばれたのが残念。コーチの経験はなく不安に思いながらの訓練、2ヶ月ぐらい過ぎたあたりから恐れていた脚、膝等を痛める選手が出てきました。痛めた選手をサポートするのもコーチの役目、でもどうしたらよいかわからない。そうしていたら選手の中に整体経験者がいたおかげで、練習終了後のマッサージをやってもらっていました。それを見ていたら私もできたら良かったのにと思いました。
訓練を終えて整体をネットで調べて、整体学院のホームページを見て整体師ことを知り45歳の時に整体学院に入学しました。仕事等あるので通えるのは週末の1日のみ。途中追突事故に遭い後遺症で「ジストニア」と診断され、医者からは「一生治らない」と言われてしまいた。症状も肩、肩甲骨等の痛みも強く、仕事も休む日も多く、整体学院にも通えていなり少し諦めかけていました。「このままだと諦めるしかないのかな」とも考えていました。
しかし、どうしてもあきらめきれず、もう一度整体の道に進もうと決断しました。
私の想い
健康とはというのは十人十色みんな違って当然です。
患者様の健康についての不安、悩みを一緒に共有していければと思っています。
これから「とむろ接骨院」でいろいろな患者様のお話を伺ってサポートをしながら一緒に成長していきたいと思っています。
諸杉 剛(もろすぎ つよし)
保有資格・認定・習得:
- 柔道整復師・姿勢整体師
- 剣道3段・柔道初段
業界歴:26年
臨床数5万名以上
経歴:
- 福島県立勿来高等学校卒業
- 仙台赤門鍼灸柔整専門学校卒業
- 埼玉県越谷・千葉県船橋・茨城県日立にて10年修行
- 厚木市にて開業
こんにちは。とむろ接骨院の諸杉剛です。
私は1970年6月23日、福島県いわき市で生まれ育ちました。
海が近くて、子供のころはよく釣りや海水浴に行って水泳は海で覚え
ました。今はほぼ泳げません…
2011年の東日本大震災の時、私は厚木にいましたが、実家は
屋根瓦が崩れ津波が目の前までやってきたそうです。
隣町は流されてしまいました。今は放射能の影響がありますが、
少しずつ復興しています。
恩師への憧れ
私は小学2年から剣道を始め、その時の剣道の恩師が接骨院の先生でした。
その頃から「先生みたくなりたい」「接骨院の先生になればずっと剣道が出来る」
と漠然と思っていました。
その思いは高校3年まで変わらず、この道に進む決心をしました。
しかし当時は接骨院の学校が全国に十数校しかなく(現在は約100校)
学校に入るのが厳しく2年受検に落ち、2年間ほかの仕事(とび職・お寺の厨房など)をしました。
初めて社会に出て働き、仕事の厳しさ、社会の常識、責任感など、いろんなことが学べ、
今でも役に立っています。
2年間仕事しながら学費をためて無事、専門学校に合格することが出来ました。
私は高校までの勉強の成績は決して良くはなかったです。(下から数えた方が早かったです…)
2年間も苦労して、自分の意志で入りたくて、やっと入れた学校なので、本当に3年間猛勉強しました。
おかげで成績は常に上位で、無事国家試験に合格しました。
卒業して修業が始まり、いろんな経験を積みました。
修行時代
初めての修業先の先生は昔堅気の先生で「技術は見て覚えろ」「世の中で盗んでいいものは技術だけだ」と半年間は包帯作りのみでした。
その時の包帯はサラシから作り、縦に4列に裂いて、両端のほつれを取り、手で巻いていくという作業です。(今は出来ている包帯がありますし包帯を巻く機械がありますのでとても楽ですね~)しかしその経験により、包帯が手に馴染むことを覚え
包帯を握った時に大体の長さがわかります。
また、当時は骨折や脱臼の患者さんが多く整復の時の音にびっくりしたのを覚えています。
その後、埼玉県越谷市、千葉県船橋市、茨城県日立市の接骨院にて約10年修業を続けました。
越谷市では、先輩先生方に基礎から教えて頂きました。
しかし分からない事は、聞かないと教えてくれず、黙っていただけでは何も教えてもらえません。必死でした…。
質問を繰り返し繰り返しして、治療後は先輩先生の体を借りて、手技の練習、
包帯巻きの練習、解剖学の勉強など、毎日夜遅くまで練習していました。
船橋市では、整形外科に勤め、レントゲンの診かた、骨折の治し方、ギプスの巻き方など
ほぼケガの治療を診させていただきました。
また、日立市では分院の立ち上げから、すべて任され、立ち上げから4年間、1日も休むことなく、
1日約70人の患者さんを治療させていただき、様々な症状に直面し、大変勉強になりました。
この10年間の修行で感じたことは、先生と患者さんの関係でも、やっぱり人と人との関係がすべてで、心の通う治療が1番大切で、1番効果が出る事でした。
厚木市での開院
さまざまな患者さんと接し、いろいろな技術を習得し、ここ厚木市で平成13年に開院しました。
知り合いは誰もいなく(義姉1人のみ)土地勘もなく、なんの頼りもない、ゼロからのスタートでした。
おかげさまで、現在こうして治療ができているのは、みなさんのあたたかい気持ちのおかげだとつくづく感謝しています。
これからも患者さん一人一人と真剣に向き合い、あなたの悩みに対し、
私に何が出来るのかを考え、少しでもお役に立てるよう努めていきます。
今後ともよろしくお願い致します。
澤田 美加子(さわだ みかこ)
保有資格・認定・習得:
とむろ接骨院・受付、医療補助での勤務
及びメディックスボディバランスアカデミー認定
小顔リンパドレナージュセラピスト
業界歴:
- 受付、医療補助6年5カ月
- セラピスト 1年
施術メニュー:
- 小顔リンパドレナージュ
- 石膏パック
- ニキビケアー
趣味・特技:
美味しいものを食べ歩く為の旅行・ディズニーランド&ディズニーシーが大好きで
年に1回は必ず友人や家族と出かけます。次は孫と一緒に行くのを楽しみにしています。
映画鑑賞も好きです。最近は映画館へ行くより、家のリビングでゆったりまったり映画鑑賞するのが良いですね。
「ワイルドスピード」は唯一、息子と一緒に鑑賞できる映画で全シリーズ制覇!車好きな親子です。
話題の映画や、迫力がリアルに伝わってくる映画、好きな俳優さんが出演している映画はやっぱり映画館で鑑賞して、今の旬を感じてきます!!
流行っている物は気になります。体験したくなるので、買ってみたり見てみたり、いつまでも若々しくいる秘訣だと思っています。
プリザーブドフラワーアレンジメントをする事も好きです。子供のベビー服も作ります。
ガラスにイラストや文字を入れたりもします。
得意な施術:
- 小顔リンパドレナージュ
- 石膏パック
- ニキビケアー
得意なアドバイス内容:
- 笑顔
いつでも笑顔でいることで、人は幸せなれると勝手に思っています(笑)
なので、いつも笑顔で患者さまと向き合いたいと思っています。
笑顔でいると口角も上げやすくなって好印象を持たれます。
これがとても大切です。
意識して口角を上がっていると口元の筋肉の動きも良くなります。
小顔になってさらに笑顔の素敵な好印象な方になって欲しいと思います。
施術中はお顔の事だけではなく、人気の美味しいお店や、簡単料理のお話、芸能界の話まで幅広くさせて頂いています。
患者さまからも色々なお話を聞く事が出来るのでとても楽しい時間を私も過ごさせて頂いています。
健康のために行っていること:
身体を冷やさないようにお湯や白湯を飲んでいます。
以前は「シロクマか?」
と言われるほど氷が好きで食べていましたが、身体が冷えて指先のあかぎれがひどくなり、代謝も落ちたのを感じ、内臓にもよくなのでは?
と思って替えてみました。一気にチェンジ!
お湯や白湯を飲みだしたら全く氷が欲しくなくなってビックリです。
いまは一日2ℓのお水、白湯、お湯をとるように心がけています。
飲み始めて3年、指先のあかぎれは出来ていません。
毎日ほぼ車生活ですが、これからはウォーキングも少しづつ始める予定です。
ダイエットと健康の為、まだまだ自分の足で元気に歩きたい。
お客様へメッセージ:
小顔は永遠のテーマです。
私が自分に施術して欲しい事を、自分でやってみたいと思いセラピストの資格を取りました。
どこが気になるのかも、患者さまと同じ気持ちで向き合い一緒に笑顔になれますよう施術致します。